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ICTツール「創進WEB」の立ち上げ
現在、創進ではICTを駆使した授業を強化中です。
が、創進WEBと名付けたこのICTツールは、もともとはコロナ禍での休校措置にともなって立ち上げられたものです。
2020年3月に突如通達された休校措置は、私教育機関においても、あくまで民間教育の場であると主張して立場で授業を続けるべきか、生徒たちにとって第一の学び場たる公教育機関の判断を尊重すべきか、いずれにすべきかの大きな判断を迫られるものでした。
創進はこの地域でいち早く後者を選択し、しかしながら授業は停止させずに、自宅学習(WEB授業)へ移行することを決めました。
ネガキャンや引き抜きは行わない
創進は通塾を停止するという判断を下しはしましたが、かといってそうでない選択をした他の私教育機関に対して批判的な広告を出したりということは一度もありません。ましてや、それを利用したネガティブキャンペーンを打ち出したりということも一切ありません。
事実、創進は、学校が休校となり、創進WEBを立ち上げることになった際、あえて他塾からの転塾を受け入れないという方針にしました。
創進では当時の広告には次のような趣旨を記しています。「どの塾や予備校もこの(休校措置の)事態に苦慮しながら対応を模索しています。そういう時期だからこそ、創進は引き抜きをしようとは考えてはおりません。WEB授業を目的に転塾をされる方についてはこの度につきましては誠に申し訳ございませんが入塾をお断りいたします。これまでどこの塾にも通われていなかった方のみの募集とさせていただきます。」
こうした募集広告をしたことに対して、入塾とは関わりのない方々からも激励や応援のお言葉もいただきました。創進の精神をわずかでも受け入れていただける方があったことは、暗中模索の中においてその後の小さくも確かな光明となりました。
創進WEBの内実が少しづつ周知される
とはいえ、当初は「オンライン授業は映像を見るだけ」という情報が流布していたこともあって、創進WEBが実践を試みていた事柄の詳細な内容はなかなか周知されませんでした。また、詳しい実践内容は語られないまま、オンライン授業があたかも対面授業の対極をなすかのようなネガティブな手段としてステレオタイプ化され、コマーシャルされていくさまも垣間見られました。
対面授業であれオンライン授業であれ、つまるところ、いかにコミュニケーションを豊富に取れるかこそが本質であるべきです。にもかかわらず、その点については巧みな論点ずらしがなされ声高にプロパガンダが行われていくことは、そのツールの長所によってより質の高い授業を模索しようと尽力していた側から見れば非常に心の痛むことでした。しかし、創進がすべきことは、議論ではなく今いる塾生により良好な教育環境を提供することと考えて続けていました。ですから、粛々と責務を果たし、環境を提供し、結果を出すことで皆さんのご理解を得られることだけに力を注いできました。
結果、少しづつではありますが、塾生や保護者の皆様の情報交換などを通じて創進WEBの内実を理解していただける機会も増えてきました。
創進WEBは、決して映像を見るだけの授業ではなく、十分な相互コミュケーションを可能にしたツールです。また、これまでの講義・板書型の授業から一歩進んだ授業を展開するためのツールでもあります。時間はかかったものの、こうしたことなどが静かに浸透してきたことを実感できる機会も徐々に増えてきました。
「聞いていたのと違う」
こうして、ようやく「聞いていたものとは違う」という感想を少しずついただくようになりました。もちろん、そこまでには時間だけでなく相応の労力も要しました。
この「聞いていたものとは違う」という言葉は、それが良い意味なのか悪い意味なのかで大きく意味が異なります。子どもの教育というのが多くの保護者の方々において非常に大きな関心事である以上、良い意味で「聞いていたものと違う」と思っていただくにはやはり時間をかけて知ってもらうことが必要です。また、何よりもそう思っていただけるだけの中身や学業結果が付いてこなくてはなりません。
そのことを肝に銘じつつ、創進では、創進WEBについては「教室の座席を自宅に移したようなシステムに」という思いを抱き、道乗りは遠くとも少しでも近づくために改良・改善を積み重ねてきました。
学業結果については、創進は学級閉鎖や学校閉鎖があるたびにWEB受講に完全移行し、それによって塾生らには少なからず不自由があったであろうこともまた事実です。にもかかわらず、多くの塾生が成績を着実に伸ばし、各学年の上位の塾生も多く輩出してきました。
既述の通り、非常に早い段階で「オンライン授業」を取り入れた創進は、当初は否定的な流説を払拭しきれませんでした。しかしながら、時とともに内実であれ学業結果であれ「聞いていたものと違う」という、良い意味においてその認識が変わったという方が少しづつ増えてきたことは非常にありがたいことです。
振り返るに、創進WEBの駆け出しから創進の方向性に理解を示し、子どもさんの通塾先としてお選びいただき、応援してくださった保護者の皆さまには感謝しかありません。
「良いか悪いか」ではなく
「何ができて何ができないのか」
そして、創進は地域に根差す学習塾として、地域の皆さまからの信頼を得るためにもコマーシャルに都合の良いことだけを声高に伝えるだけでなく、現状の課題やWEB授業の限界も真摯にお伝えしてきました。
確かにWEB受講にはまだまだ不十分な部分があります。しかし、逆に通塾だからといって万能ではないのです。そのことは通塾も自宅受講も両方を実践している創進だからこそ、身をもって知り得たことでもあります。
言い換えれば、通塾であれWEB受講であれ、それらを「良いか悪いか」で語ることには何らの意味もありません。そもそも、双方の陣地に張り付いて「良いか悪いか」を語ったところで、それは単なる水掛け論にしかなりません。「良いか悪いか」は、選択する側が「自分にとっては」という個々の様々な条件と枠組みに照らし合わせてのみ語り得る言葉なのです。
ましてや「どちらが正しいか」を塾側が提起するなど論外です。そのことは高校や大学の選択を例になぞらえてみれば簡単なことです。高校や大学は「私たちの学校ではこういうことが学べますよ」という情報を提供します。そして、それをもとに受験者はどの学校が「自分にとって良いか」を決めるわけです。
ところが、もし学校側が「あなたにとって自分の学校の方が良い」とか、いわんや「自分の学校の方が正しい」などと言い出したらどうでしょう。コロナ禍以降、巷(ちまた)の塾や予備校業界ではこれと同様の議論が延々と繰り返されていたのです。
塾長は曲がりなりにも大学で教育学を十数年学び、研究していた身ですから、当初からこの議論がいかに的外れであるか、そして何より、塾を選ぶ側にとって不利益しか生まないものであるかということに気づいていました。ですから、創進は当初からその種の論議に一切関与したことがありません。
水掛け論をしている余力があったら環境を整えたい
常に創進が目を向けていたのは、双方を同時運用することで「できること」をいかに拡大できるかでした。
双方の長所を取りながら、通塾を希望する方には通塾をしてもらい、自宅授業の希望があればそれも受け入れ、そして、感染症等で学級や学校が閉鎖されたときには全授業をWEB受講に移行する。あるいは、個人の希望や家庭の都合、あるいは学校や社会の求めがあれば、それに応じながら柔軟性の高い授業環境を提供する。創進が目指し、現時点で提供できるのはこうした学習環境です。
「良いか悪いか」という不毛な水掛け論を繰り返したところで何も有益な教育環境は提供できません。そこに充てる余力があるならば指導環境を改善を模索しよう―創進が一貫して傾注してきたのは指導環境の改善と新たな環境の構築です。
踏み出すことはできる
見える景色はたどり着くまで分からない
今、創進WEBは、その立ち上げ当初には予想だにしなかったところにいます。塾内でも自宅でもすべての塾生が受講と同時に創進WEBを立ち上げるというスタイルです。
コロナ災禍がきっかけだったわけですが、そのことを塾長自身すっかり忘れてしまっています。単純なことです。有益な手段になり得たものが残った、ただそれだけのことです。
必要だと思って修正や改良を積み上げてきたもの、それがいつしか創進という塾の授業を支えるベースとなり、他にはないオリジナリティとなったということです。
あの災禍の中、意を決して踏み出さなかったら、あるいは、頑なに現状を強い、それにしがみつくことに終わっていたら今の創進はないわけです。
踏み出すことはできます。しかし、その先に見える景色は分かりません。
ただひとつ言えることは、行く先にある景色がどのようなものだとしても、それを見ることができるのは踏み出した者だけです。
大波ではなくて小さなお椀に集まる水滴
そして、創り、進む。
コロナ禍当初、技術的にも環境的にもWEB授業は課題も多く、事実、創進からはほとんど塾生がいなくなりました。WEB授業の問題点や限界が声高に語られると同時に、学校の休校が長引く中、次第に教室に人を集めて営業を続けることがあたかも「闘うこと」のように履き違えられていきました。学校が休止するという未曽有の災禍の中で、誰もが冷静さを失うのは当然のことです。
誰かが走り出すと恐怖とともに意味もなくつられて走り出す現象をスタンピードと言います。当時、「闘うこと」という旗を振り、猪突猛進して危険に向かって走るさまはまるで押し寄せる大波のようなスタンピードだったのかもしれません。
が、一方で、あくまで安全や健康を確保し、また、学校行政の方針と相反することなく学ぶ手段を模索していた創進に共感してくださる方も僅かながら現れるてきました。しかし、それは小さなお椀にあつまる水滴ような微々たるものでした。
けれど、大波のように大挙するのとは違う、創進独自の在り方に賛同してくださる、そうした方々の求めに応じて行こうというのが創進らしさだと確信した瞬間でもありました。
コロナ禍から数年、多くの塾が現れ、そして、消えていきました。
けれども、創進は今日も消えることなくここにあります。当たり前のようにすべての塾生が創進WEBに接続して授業が始まります。今ではそれが「日常」になりました。
創進はコロナ禍から生き残ったのかーそれは違うのだと思います。「残った」のではなく、コロナ禍のような障壁があっても安全で健康を守って学ぶことができる、そういう新しい領域へと「創り進んだ」のだと思います。